ってしまった。秘画彫りし板戸も、その時悠久にこの世から消え果てたろう。
先年亡くなったあやつりの結城孫三郎は、同時に両川亭船遊を名のって、風流写し絵の妙手。明治初年の夏の夜には両国橋畔に船を浮かべて、青簾《あおすだれ》のうちも床しい屋根船のお客へ、極彩色の雲雨巫山の写し絵を見せたものだという。
……水のような夜風と、船べりを洗う川波と、熱い頬と頬を寄せて胸ときめかせながら写し絵の濡れ場に見入っている役者のような若旦那と柳橋に艶名高いうら若い美妓と、その時堅川の方へは星が一つ、青い尾を曳いてながれたろう。
きょうびのストリツプも佳人が踊れば「絵」ではあるが、肝腎の背景とする「時代」にあまり詩がゆめが、ない。
昔を今になすよしもがな。
[#改ページ]
おでこのしゃっぽ[#「しゃっぽ」は底本では「しゃっぼ」]
先日、馬楽改め八代目林家正蔵君の披露が、浅草の伝法院で催された時も、したたか酔っ払った私はこれももうすこぶるいい御機嫌になっていた一竜斎貞丈と、今は亡き文芸講談のE師についていろいろ談《かた》り合ったが、師吉井勇と飲む時にも、きっと一度はこのE師の思い出話が出ない
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