点]」「落ちねぇ[#「ねぇ」に傍点]」で、「いかん」「できん」「落ちん」などは、おそらく田舎官員か芋書生の用語として、子供心にも私たちは軽蔑していた。
 ところが星移り、物変わり、春秋ここに四十年――ふと顧みると、いつか私たち純下町人までが、平気で日常用語の中に、この「いかん」「できん」「落ちん」を連発するようになっていたのだから、オドロク。
 これは、この間もくせい[#「もくせい」に傍点]号で不慮の死を遂げた大辻司郎君の、
「ボクは絶対にできんデス」
 などと言うあの同君一流の表現のヒットしたことなども、こうした用語の流行に拍車をかけたのかもしれないが、まさしく亡き岡本綺堂先生が『自嘲』に前書きされた、
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トンカツを喰ふ江戸っ子が松魚とは
[#ここで字下げ終わり]
 で、ひそかに苦笑せざるを得ない。
 さて、物語は、我ら江戸っ子全体が「いけない[#「ない」に傍点]」「できない[#「ない」に傍点]」「落ちない[#「ない」に傍点]」と正しく美しい発音を常としていた。もちろん御一新以前の、弓は袋に太刀は鞘、松風、枝を鳴らさなかった御代太平の昔である。
 京橋鉄砲洲の西
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