のいい草じゃないがすこぶる恚乱《いらん》のたちで、無闇に怒りぽかったから、到底永続きのするわけがなく、私はこれからしばらく高座を退いてしまった。
 この時代の権太楼夫人が、戦後、離婚して家庭裁判まで起こし世間を騒がせた女性で、弱り目に祟り目で相前後して権太楼君は記憶喪失症になって病床にあること多年だったが、昨秋からようやく再起、今度再婚もしたと聞く。往事を思えば、同君の回復もまた、速からんことをせつに祈りたい。
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    第三話 談譚聚団

 これから昭和八年の春、再び夜逃げをするまで私は、滝野川西ヶ原の陋巷《ろうこう》にいた。
 すぐ裏が寄席で、夜毎、寄席噺子が洩れ聞こえてくると、寄席へのノスタルジアに全身全魂が烈しく揺《ゆす》られ、この心事をそのまま、のちに私は小説「圓朝」へ写した。
 ここにいるうちに前年面識のあった大阪島の内柳屋画廊の女店員でAという娘と文通しだし、家庭生活に絶望していた私は、西下して忍び逢ったが、彼女の日記が寄宿先の伯母に発見され、たちまち郷里である山口県へ帰されてしまった。
 昭和十九年夏、戦争非協力文学のゆえをもって私が禁筆の厄に遭っていた
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