の平常がおとなしい南龍老にしてこの大胆、この気魄と、少なからず私はおどろき、敬服したことである。
 私は、この時分権太楼君が独立していたので、旧師三語楼氏へ柳家を返上し、暁亭を樹立せよと極力勧めたことがある。すなわち、暁の鐘がゴンと鳴るという洒落である。しかるに、むしろ野暮な闘士に近い同君は、
「今に落語家も柳家Aだの、柳家Bだのができましょうよ」
 とあくまでこの点モダーンボーイだった。幸いにして敗戦後の今日も、落語界にはむかし家今松だの、山遊亭金太郎だの、鶯春亭梅橋だのと、風流めかした芸名のみが栄えているのもまことにめでたく、A介B介などという名はかえって漫才の方に輩出しだした。
 この動坂亭の興行はなかなかに有望だったが――と書いて今小憩し、ラジオへスイッチを入れたら、山野一郎君の「なつかしの活弁ジンタ」が音楽入りで「ラジオ東京」から放送され、私は目裏を熱くして聴いた。かくてわがこの回想録には、いっそうの拍車が掛けられることだろう。――では、どうして、その興行が中絶してしまったかといえば、当時の私が性格破産したアルコール中毒者なら、若き日の権ちゃんがあれでいて「天災」の紅羅坊名丸
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