時、結婚三周年記念私家豪華限定版の名に隠れて『寄席噺子』なる随筆集をせめても開版した時、彼女と同じ山口県の某寺から一部を申し込んできた女性があった。姓名も筆蹟も違っていたが、十年の歳月は婚後その通称を改めることもあろうし、筆蹟もまたずいぶん変わるものである。「いつまでもおん睦じくあれと祈ります」という意味の手紙が送本後に届いたので[#「届いたので」は底本では「屈いたので」]、チラと私の心にありし日のA女の、仄白い顔が思い出されたことだった。
再び滝野川の陋宅をも失踪しなければならなくなったのは、その頃交りを結んだ小金井太郎一家が転げ込んで来て、毎晩酒乱で太郎が凶刃を揮《ふる》うため、私は神経衰弱になってものが書けなくなってしまった上に、博文館関係の雑誌が不況で二、三急に潰れ、まったく収入がなくなってしまったからである。居候の太郎一家を残して、こちらがドロンをしてしまったのだった。
この時にことごとく蔵書とレコードとを入質して流してしまったが、そのレコードの中に、盲小せんの「ハイカラ」、初代圓右の「五人廻し」、先代文團治の「四百ブラリ」のあったのは惜しんでも惜しみ足りない。
小金井
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