すめてくれたが、戦後の今日は牛肉よりも豚肉が高級品。鰤《ぶり》の切り身より塩鮭のほうが高価ときては、この点の頭の切り換えだけが、いまだにどうしても私にはつかない。なにしろ名人一立斎文慶は「四谷怪談」で伊右衛門が博奕に負けて帰ってき、お岩に食事を求めると、塩鮭を焼いて出す。それがいかにも貧家の景情をよく出しているといって激賞されたという芸談や、「鰻の蒲焼で喰べる御飯も塩鮭のお茶漬を掻き込むのも、美味いという感じに相違は無く、ただし、翌朝の糞に軽重は有之可と存候」と緑雨張りの小品を書いた盲の小せんのウィットに積年教育されてきたこの私だから――。
 これも「牡丹燈籠」で言及したが、この頃、神田の立花亭で連夜大切に芝居噺を演じていた正蔵君は、千秋楽には霜深い夜道具を荷車に積んで、印絆纏を着て自ら雑司ヶ谷まで曳いて帰ってきた。
「ああこの人は今に売れる。この熱心だけでも売れ出す」
 感嘆して私は心にそう思ったが「芸」の神様はなかなか一朝一夕には白い歯を見せてくれないもの。同君の話技がようやく円熟の域に入ったのは、戦後、八世正蔵襲名以後で、前述の「牡丹燈籠」(お峰殺し)や「春風亭年枝怪談」や「ちき
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