せていたのに、乱闘の章へきたら、俄然この洋服のはずの主人公が懐中へ忍ばせておいた下駄を取り出して啖呵を切った、云々と書いてしまったのだった。こうしたらたちまち山口画伯から手紙がきて、「洋服か和服かどちらかにしてくれ」仰せいちいちごもっともの次第で、我ながらこういう下らないところ、あくまで私は文士くずれの落語家だった。さてそういう風に売文の瀬踏みにちょいちょい上京していた前年の秋、私は今の八代目林家正蔵君の雑司ヶ谷の家へ長いこと草履を脱いでいた。圓楽から蝶花楼馬楽になって何年にもならない時分で、けだし同君の貧乏生活の絶頂だったろう。いい奥さんになり、いま可愛い娘さんのできている同君のお嬢ちゃんが、いまだその今の娘さんぐらいのじぶんで、「艶色落語講談鑑賞」の「牡丹燈籠」の中でも書いたが、貧しい中から遠来の泊まり客たる私に朝に晩にきっと正蔵君はお膳へ一本付けてくれた。永らく阪地にあった私には、久し振りに故郷へ帰ってその時同君の宅で食べた秋刀魚や鰯《いわし》がどれほどなつかしく美味しかったろう。ある日は豚のコマぎれをちり[#「ちり」に傍点]にして正蔵君は、
「つまりは貧乏人の御馳走さ」
とす
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