家が力作を寄せていた時代で、ともに私の明治開化小説を例月載せてくれていたから、いっそう帰ってくる気にもなれたのだった。しかし、当時の私の開化小説などは我流の書きなぐりで、かかるがゆえに、大半以上を後年破棄し、近年朱を加えて単行本へ収めたのは、わずかに「キネオラマ恋の夕焼」一作しかない。その少しのちに「講談雑誌」へは、サトウ君の「浅草」と二枚看板で、青春自伝「道頓堀」をも連載したが、これもまた不本意の作品なのでのちに火中に投じてしまった。なによりアルコール中毒のひどい時で、朝来、冷酒を煽っては執筆、いい加減どろんけん[#「どろんけん」に傍点]で書くのだから、いっぺんなんか挿絵を担当してくれた山口艸平画伯をひどく面喰らわせた珍談があった。それはかつて浪花政江一座という中流の安来節のコーラスガールで、川口の中華料理の女給になっている女との情事をテーマとした小説だったのであるが、一夜、その飯店の中国人たちと私は懐中していた下駄を振り廻して渡り合いかけた事件があった。そこだけはあくまで私の体験した実話だったので、酔余かいているうちにだんだん実感が迫ってき、はじめは主人公をスマートな洋服姿で登場さ
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