終わってしまった。でもこれ以上あまりながながと続けることも御迷惑であろうと思う。
 ※[#歌記号、1−3−28]あまりながいは皆さんお飽き、ちょいとここらで変わりまアす――華やかなりし昔日の音曲師は、三好も万橘もかしくも鯉かんも勝次郎も歌六も、その高座の最後において楽屋の大太鼓、小太鼓賑やかに、よくこんな甚句を諷っては、瓢々と下りていった。いでや私もその顰《ひそみ》に倣《なら》って、以後はまた他日を期することとしよう。
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   続わが寄席青春録



    第一話 正蔵君 金馬君 米若君

 私が正式に東京に帰ってきたのは昭和四年の春だった。つまり四年めに故郷の土を踏んだわけであるが、宝塚スターの恋愛時代だった大正大震災前後も一年の半分は下阪していたのだったから、今度の帰京はずいぶん久しいもののように思えた。
 もっともその前年の秋あたり、先代三木助に言われる前から、うすうす帰京のことは考えており、当時は博文館から「文芸倶楽部」「講談雑誌」の二誌が発行されていて、前者は横溝正史君が活発に編集しており、後者も師、吉井勇をはじめ長田秀雄、長谷川伸、畑耕一、サトウハチロー諸
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