そこへ微醺《びくん》を帯びて入ってきた吉本の支配人でTという中年の男が、京都へ出てもらう代わりには圓馬師匠へ無条件に詫びてくれんと……という条件を持ち出してきた。三木助も春團治も借金があったが、前述したよう圓馬のみは借金を返したあとで、押しも押されもしない名実ともに大看板。吉本も圓馬の無理は一も二も三も聞いていなければならなかった時代だった。同時にあの前後数年間が、師父としても最後の全盛時代であり、吉本としてもまた故人へ空前絶後の儀礼を尽くしていた時代だったと言えよう。だからTもまたこうしたことを私に対して言いだしてはきたわけなのだった。が、私のことにすると日夜師父の芸が恋しくて恋しくてならず、師父にもまたじつに逢いたくて逢いたくてならずこれほど敬慕しているのが少しもわかっちゃくれず、そもそも芸のわからないのが根本の原因で世帯をしまうようになった我々を、その女の方へばかり芸人のくせに味方をして、一にも二も正岡が悪い悪いと簡単に私を抑えつけてしまおうとする圓馬一家の態度がどうにも不平で承服できなかったのだ。で、詫びるのは断じていやですと言下に断ったら、酔っているせいもあってだろうTは、私
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