筋だったから、それに助けられてまずまず私の噺も実力以上によく演れたのだ。とこう書いたらたまたま当夜北の花月の桟敷に来合わせておられた故渡辺均君は、なんだちっとも巧くもなんともありはしないや、あの晩の君の噺は、と冥途からこう言われるかもしれないが、均君よ、私の平常落語以外の小屋で演っているときよりは、という意味なのであるから、なにぶん諒解してちょうだい。呵々。それにしてもたった一夜代演のこの私を、吉本では大きな立看板にじつにいろいろと口上文を書き、華々しく飾ってくれた。大局から見ては落語界に絶対プラスしなかった吉本ではあるが、この点の商売熱心だけは、再びここで特筆称揚しておきたいのである。
私の大辻君代演の一夜はたまたま吉本への手見せとなり、吉本でもどうにか潰《つぶ》しの利く高座だと思ってくれたのか、来月、京都の新京極の富貴で金語楼、小春團治、九里丸とあんたで新人会を演るさかい出演しなはらんかと言われた。こちらはお客のよさに相恰を崩している折であるから、よろしい、でましょうと給金も決めずに受け合って、うちうち、来月を楽しみにしながら、ある晩、南の花月の楽屋へ行って遊んでいると、たまたま
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