金竜館へと出演した。
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第四話 続々落語家時代
金竜館もやはり今日のアトラクションで、九郎とか五蝶とか扇蝶とか、子供の時分五九郎一座の舞台で顔馴染みの人たちばかりが喜劇春秋座で常打ちに出演しており、他に木下八百子に三河家荒二郎合同の歌舞伎劇がひと幕あった。昭和三年の七月末から八月へかけて一ヵ月間、昼夜二回(日曜は三回だったろうか)ここでも私は楽天地で演ったような演題のものをいろいろと演ったのだったが、これは楽天地よりもむしろやりにくかった。というのは文芸部がとんだ大べら棒で、「モダン漫才」という看板を上げ、そうプログラムにもまた印刷してしまったからだった。かりにも蕎麦だと看板を上げてある以上、どんなに美味しい与兵衛や安宅《あたか》の寿司を提供したとてお客は元来蕎麦を食べにきたのだから満足はしない、いわんやそれが私という未熟な駄寿司たるにおいておや。楽天地の当初のように大欠伸なぞ喰わなかったが、毎日、じつに中途半端ないやないやな思いで舞台を勤めた。三つから十四まで育った生れ故郷の浅草へ久し振りに帰って来て、こんなやりきれない思いの高座を勤めようとは――。つくづ
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