なり正蔵君なりがその晩の上がり(収入)を折半して多分私には大阪からわざわざきたからとてやや余計分よこしてくれただろう、それを平気でノメノメもらってきてしまったということである。なぜその時、自分の方でそれへ某《なにがし》か足して、楽屋の人たちにお酒の一杯を飲ましてあげなかったか。その上、徳川君には二度無料で助演してもらった。さすがに二度めに立花へ出てもらった時には、あまりもののわからない奴だと思ったのだろう、高座から徳川君、正岡の会だと私が出る、どうも何か義理があるようだが、あいつには多少の貸しがある、してみるとこりゃたしかに義理があるのでしてと諧謔《かいぎゃく》たっぷりにトドメをさされた。まさしく私は当時同君にその上借金までしていたのだから、まことにまことにおおせごもっとも。いやはやどうもお坊ちゃん崩れの二十四、五歳などというものはじつにじつに仕方がないものでござる。今日私が弱冠の落語家桃源亭花輔君などにとにかく金の心得までいろいろやかましく言うのは、じつは、わが若き日にこんな失敗があるからである(花輔君よ、うるさい先輩だと思うなかれ!)。さて楽天地の二カ月以後、今度は私は東京の浅草の
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