ふちな」に傍点]し眼鏡には支那服で三味線を弾いている写真が掲げられたのだから、浪華雀の噂はひとときはかまびすしく毀誉囂々《きよごうごう》となったけれども、じつは彼女とは深間に入らないで死の前後まで何となく交わっていただけだった。いや当然深くなるべきのが、妙な外れ方をしてしまい、そのまんま一生をおわってしまったのだった。男女の間にはどうかするとこうした場合があるものである。ところで今これを書きながらふと思い出したのだが、私が彼女と吹き込んだ時代はたいていどこのレコード会社もいまだいわゆる喇叭《ラッパ》吹き込みだった(ビクターへ吹き込む頃になってやっと各社とも今日の電気吹き込となった)。マイクの吹き込みは楽だが、喇叭の方は吹き込んでいる後ろから時々文芸部の人に子供が写真を撮される時のよう頭を喇叭の中へ押し込まれたりまた引き離されたりして決して愉快なものじゃない。先代正蔵君、金五楼君は私と相前後して吹き込んでいたからもしこの一文を読んでくれたら当時の吹き込み室の有様をなつかしく想起してくれるだろうが、思えば私は喇叭吹き込みの最終期から電気吹き込みの黎明《れいめい》期にかけて関西のレコード界へ
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