あくどい上方流)をして塩辛声に咽喉《のど》を潰してしまったおかげで、今日、容易にあの先代春團治の一種しわがれたような声をそっくりにだしてみせてその呼吸の具合を、彼の高座を知らない後学の人たちに聴かせてあげることができる。人間万事塞翁が馬とは、けだしこのへんのことだろう。その頃私の吹き込んだレコードはニットウのほかにはオリエント、ヒコーキ、ツル、内外そして日本盤を売り出し当初のビクター。オリエントとヒコーキは今日のコロムビア系で、リガールレコードの関西版というところである。小春團治君と私の掛け合いに、めっかちの圓若(最近まで老後健在で、復興の夷橋《えびすばし》松竹へも返り咲いたと聞く)老人の音曲を加えて吹き込んだこともあったが、それらの中でやはり特記しておいていいのは今日の漫才をもっともインテレクチュアなものにした「ハムレット」のオフィリア狂乱の場なる掛け合いなんせんすを妖艶な支那服の似合ったよくユーモアを解する女流文筆家とレコードへ吹き込んだことだろう。
 例の「サンデー毎日」や「週刊朝日」の裏表紙の広告へは私が大柄の揃いの浴衣で羽織と着物をこしらえたのを一着に及び、彼女、ふちな[#「
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