いなく、ただ何となく来さえすればそれでいいのであるが、こちらは必ず何らかの形で理屈をつけて自演の落語と剣戟とを結んでいかねばならないのだから、ずいぶん無駄な苦労をした。もちろん、右のような雰囲気のお客だったから、会話の噺(つまり本来の落語様式)は全然駄目で、地噺(地の言葉が主でいく、たとえば「源平」や「お七」の様式)しか演れない。地噺へ和洋の鳴り物をふんだんにつかってなおかつ照明まで用いたものは、落語界はじまって以来私のほかにはたんとあるまい。
おかげで私は話術の世界へ飛び込んですぐ、噺の嫌いなお客に噺を頼んでつまり懇願して聞いてもらうという情ない卑屈な手法をまず覚えるべく余儀なくされてしまったが、これははしなくも今日、映画ファン七分というようなところで寄席文化講座をやった場合、はじめ十二分以上に映画を讃美しておいてガラリ居所変わりで寄席の世界のよさへ彼らを連れ込んでくるという方法を採ることにいかばかりか役立っていることよ。しかも今度の場合は昔日のように下からでて御機嫌をうかがわず、高所からでて説き来り、説き去れるに至っては演者たる私、快無上である。同時に剣戟映画の弁士の真似(それは
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