以外に席らしい席はまったくなかったからだ)俺はよんどころなく出演しているが、お前は決して決してあんなところへ出てはいけない、始終圓馬がこう私を戒めていたからどうつて[#「つて」に傍点]を求めて出させてもらおうすべ[#「すべ」に傍点]もなかった。つまりそれほど全大阪の落語家は、圓枝とか文治郎とかの好人物を除いては不平不満のまんまでよんどころなく吉本に勤めていたのだ。もっとも席主が元来落語というものを感情的に大嫌いで、いつかは亡ぼそう亡ぼそうとかかっていた。これではいくら表面、どう巧いことを言われていても以心伝心、自ら芸人たちにもそれが感じられてくるから、つい居心地のいいわけもなかったのだった。ただし、吉本の宣伝法だけはじつに偉かった。たとえば席の表へ掲げる看板一つにしても、ちゃんと文芸部(という名称はいまだなかったろうが)がいて一年三百六十五日出演している桂春團治でも必ず抱腹絶倒爆笑王と肩書をつけるし、三遊亭圓馬の説明には東京人情噺の名人と註することを常に忘れなかったくらいである。東京の寄席のただ「文楽」とか「志ん生」とか「柳好」とのみかいてほったらかしておく商売気のなさとはちがってどこ
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