平気で女性をもてあそんだり独身でいられたりする人たちが多くはないか。菊田一夫君なども私同様の孤児であるとか聞いているが、同君の恋愛観など親近の人たちから仄聞《そくぶん》すると、よほど私の抱有しているものに酷似していてはなはだ思い半ばにすぐるときが少なくないのである。
 さあ、このへんで今度は大正末年の上方落語界について言及しよう。
[#改ページ]

    第三話 続落語家時代

 戦後、吉本興行部の桎梏《しっこく》を離れた上方落語界だが、私が西下した頃の斯界は吉本のひと手に統合され、その暴威をほしいままにされていた時代だった。とはいえいまだいまだ漫才氾濫以前ではあったから吉本といえども営業政策上、大看板に表面の叩頭《こうとう》することくらいは忘れてはいなかった。ただし師父圓馬だけは私が忰分となってから二年ほどして借金がなくなったが、三木助、春團治みなみな落語家らしい無邪気な浪費生活のため巨額な借金を背負っていたから、ほんとうはこの二巨頭、吉本へ頭は上がらず、陰で不平を並べているばかりだった。当時私がこの吉本の寄席で連夜勉強していたならばもう少し早く噺の呼吸も身についていたろうが(吉本
前へ 次へ
全78ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング