けと「五人廻し」の通人よろしく顎を撫で廻した私は、して何という花魁がでましたとことさらに訊ねた。エーそれがねえ、S太夫というので……と次の瞬間あっさりこう答えられてしまった時のこの私の驚愕、落胆。ほんとうに落語の「近江八景」のあの職人じゃないが、その時の私は島原にもS太夫が二人あって甲乙に区別されており、私のは甲、今度正蔵君の買ったのは乙だったらよかったにと大真面目にそう考えずにはいられなくなったくらいだった。しかもあくまで冷たる儼《げん》たる現実はまさしく現実である。失恋の痛苦を癒すべく落語家たらんとしたこの私を大いに支援しようと誓ってくれたこの年長の友だちは、同じく失恋の痛手を一時たりとも癒すべく恋々していたこの夢幻の世界をものの見事に破壊してしまった。しかも、相手は売女であって、正蔵君の方はあくまで偶然であり、さらに私の方はまた年少ながら意気な江戸伝来の文明世界を好んで描かんとしている洒落と寛容とがモットーの作者くずれときてはどう野暮に誰を怨み、なげこうすべもない。さりとて当時の私に親近の知人の買った女をあきらめてまた買いに行くことはしょせんできなかった。潔癖でほんとうは生野暮な
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