。大島得郎君の紹介で一夜京は島原の角屋《すみや》に遊んで相知ったS太夫という若い美しい堺の芸妓くずれの傾城に私はたいそう心を傾けてしまったのであるが、生来、花魁(明治中世以降濫出の安女郎の意味!)嫌いの私がなぜそのように陶酔してしまったかといえば、今でもそうかもしれないが、当時の島原の廓《くるわ》は新選組の侍が遊歩していそうな古風な情趣満々で、蝋灯の灯かげに金糸銀糸の裲襠《りょうとう》絢《きらめ》き、太夫と呼ばれる第一流遊女のあえかな美しさは、英泉や国貞の錦絵がそのまま抜け出してきたかと思われるばかりだったからだった。
心身荒漠としきっていたその頃の私は、のちにはこんな女を恋人として現実曝露の悲哀を見るであろうこと必定であるなどわかろうわけもなく、せめても現在の虚しさを忘れるべくかよい続けているうちにだんだん女の年の明けたのちの相談ぐらいまでするようになってはいたのである。その頃たまたま久しぶりに東京の席を休んで遊びに西下した先々代林家正蔵君は、私に会うが否や今度の旅行ではじめて島原へ行きましてねとニヤニヤ額を光らせながら談った。で、フフンおいでなすったな島原のことなら近頃この俺に聞
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