きた。
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第二話 落語家時代
私が、宝塚少女歌劇のスターとの恋を失って、そのため文士くずれの落語家たらむと志したに至るまでは、すでに書いた。
が、私のことにすると、単に寄席の高座へばかり上がりたかったのではなく、一個、変わり種の落語家として、じつはあっぱれ宝塚の大舞台へ一枚看板で押し上がり、彼女を見返してやりたかったのだ。でなければいくら当時の私の売文先が「苦楽」はじめ多く関西だったとしても、敵城近く乗り込んだりすることはなかったろう。そののち小林一三先生の辱知を得た時、先生は私に君は落語家でなく、役者になったらどうだ、それならうちの舞台を貸すがと言われたが、私は立ち上がって何かを演る方の自信はなかったので御辞退した。だから、またそののち数年、旧知古川緑波君がたしか山野一郎君と相携えて宝塚のステージへ一躍映画記者から転身出演し、花のおとめたちにかこまれて虹色のライトを縦横に浴び、いと華やかなフィナーレまで演じて、小林先生から当時の出演料で金一千円也をもらったと聞いた時には、嘘もかくしもなく、しんしんと私は羨ましかった。しかもその頃私は生まれてからはじめての
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