は、勝敗に対して元々どつちが勝たうとも大した関心は払はないことであるが、昔両国橋畔になじんでゐた子供の頃には、いふまでもなく、勝角力を尊敬して負角力はケイベツしたものだつた。何年間か毎場所自分で丹念に星取表を作つたものである。――よくそんな話が出ると、人に自分の記憶を述べては、大昔のことのやうにてんで話のツボが合はず、笑つてしまふことがあるけれども、ぼくは家のオヤヂが昵懇だつたので昔の陣幕といふ人をありありとおぼえてゐるのである。その後は、昔の陣幕の面影は、芝居で「双蝶々」なんかゞ出ると舞台のぬれ髪の姿にぼくの記憶を彷彿とさせるものがある。黒縮緬の羽織に派手な色の羽織の紐と、俎板のやうな桐の柾のドエライ下駄をよくおぼえてゐる。それにつけても、力士が飛白の着物を着たり洋服を着たりする風俗はどんなものだらう。ぼくだけの妄想からいへば、元々チヨン髷を載せてゐられる特殊稼業なのだから、出来るならば袴なんかもつけない方がいゝんぢやないかと思ふ。
所詮ぼくなんかの門前の小僧の記憶も、常陸山・梅ヶ谷の時代に中心があるやうである。――その時分、われわれ両国界隈の人間にとつては、老若男女共に年二度の「
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