あたりはまだヒル下りの光線で明るいに拘らず、土俵だけさらに煌々と電気がつくので、その加減かもしれない。何れにしても、いつもながらもうもうたる人の波、人いきれの中を通つて、卒然目の前に土俵だけがはつきりと浮び上がる見物席のところで目に映ずる、力士の裸体姿は、その筋肉のふくらみといひ、ツヤといひ、何か人間の皮膚の色をした上等の外套か何かをぴつたり身につけたものゝやうに、飛び放れた不思議な景観だ。裸体から連想する寒さといつたやうな感じなどは少しも起させない張り切つたものである。
H川がこの日風邪気かなんかで溜りに控へてゐる間太い竪縞の丹前を羽織つてゐたけれども、丹前もくつきりした柄合ひのものを膝のところあたりに一寸引つかける位は、控へ力士の色気になつていゝものだ。H川の丹前姿は顔色も秀れず、襟先きからすつぽりかぶつて、始終シヨボシヨボし、やがて名乗りを受けて土俵に上ると、すぐ相手の藤の里にやられてしまつた。かういふのはつい力士渡世のあはれを感じさせるやうで、角力見物に里心がついていけない。
ぼくは力士に対してひいき不ひいきを全然持つてゐない。それよりもぼくが角力そのものに対していけないの
前へ
次へ
全18ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング