な、見てゐられない気がするのだつた。――今その人亡し矣。
角力はどのみち強くなければ仕方があるまい。強ければそれが一切であらう。双葉山の二十八といふ若さに驚くそばから、前田山の二十六歳、名寄岩の二十六歳……といふ弱冠が続いて、海光山や大潮の四十歳は、実際角力道にいふ「年寄」の年の感じは、よそほかと別世界である。四十を八十のやうにも感じ、五十を人の一生としたのも、此の世界ならば未だに通用するだらう。二十八や六では、絵の世界なんかでは、余程出来がよからうとも高々タチがいゝらしい、位に片付けられる駈け出しに過ぎないものを、からだの何所から何所までピチピチと張り切つた闘志満々の名寄が、右手をぐつと半円に大きく張つて、陣太刀を高々と捧げながら、双葉の土俵入りに随ふ昂然たる天下をとつたやうな顔を見ると、平素この人が、一体何を考へてゐるだらう、と訝らせるものがある。恐らくは何も考へずに、たゞ相手を倒さうとばかり寝ても醒めてもそのことばかり腐心するのであらう。
前田山の絶えざる闘志に引吊つたやうな白い眼を見ると、誤まつてぼくなんかゞ力士だつたならば、この眼に土俵で面と向つたゞけで、もはや気死して負
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