のことをまるで公けの事件ででもあるかのやうに、おぼえてゐる。しかしその時場所で見てゐたものではなからう。が、何だか親しく場所で見てゐたやうに今は記憶が再整理されてゐるものだらう。寺門静軒のいはゆる「一斉喝采之声江海翻覆、各抛[#レ]物為[#二]纏頭[#一]、自家衣着浄々投尽、甚矣或至[#三]於褫[#二]傍人|短掛《ハオリ》[#一]。」
ぼくは力士にだれも個人的ひいきを持つてゐない。ゐないにしても――近年数場所かけて、玉錦には何となく気のすまぬ思ひがした経験がある。といふのは、場所の度びに、ぼくの見物に行く日といふときまつて結びに玉錦が誰かしらに負けるのである。ぼくもさうは角力へ行かず玉錦がまた却々土の付かない人だけに、この縁起でもない遇合は、玉といふ人に対してぼくの角力見物を何だか弱気にさせるものがあつた。殊にその前の夏場所、武蔵に名を成させた時は、友達と見てゐながら、前以てこの縁起のことを話したあとだけに気がさした。あの人が負ける度びに、総立ちの三階から降る座蒲団の乱舞を頭上に見送りながら、土俵には口を尖らせた利かぬ気の表情の横綱が砂の中に這う有様を、味気なく見たものだつた。気の毒
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