記録したものが多かつたやうである。ぼくは少し聚めて見ると、小杉放庵さん(東京四大通さしゑ、明治四十年版)や平福百穂さん(牛と、ろ馬東海道旅行さしゑ、明治四十一年版)、中沢弘光さん(東京印象記さしゑ、明治四十四年版)、それから雑誌「方寸」に拠つた諸家の東京写生等にそれが芸術的でもあればまた文献としても貴重の作品が少なくないことを承知した。一般にこの点だけが惜しいと思はれたのは、概して何れもその絵が草画コマ絵以上の画格は与へられてゐなかつたことである。ぼくは本間国雄氏の絵本「東京の印象」(大正三年版)で両国の絵を見て、この欄干の装飾模様に瞠目しつゝ、やがてこれなんかゞ中期両国の装飾風を後に伝へる、ほとんど唯一に近い文献になるものではないかと考えた。たゞ惜しいことには見るからに草画風である。
 明治初年の主に石版の名所絵は、また如実精細といつても余りに、芸術的低調で、これでも困ると思はせる作例が多い。ワーグマンやビゴーの東京風物の写生は、結局類例の少ない、粗に流れず、密に堕さぬ、その仕事としてピッチの高いものであつたらう。それと、小林清親や井上安治が面白く、近ごろのものでは織田一麿や川瀬巴水
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