くに住み交はした者同士だつたが、すでに上原・高見沢両君亡く、これも長逝された吉田白嶺氏も談合に参加した。白嶺氏はわれわれ組が西両国だつたに対して、一人だけ東両国党だつた)、お互ひに昔住んでゐた土地のなるべく昔の一軒々々の家々の有りやうを地図にかき入れておいたものがある。――それによると、さすがに表通りは横山町、吉川町、米沢町、元柳町、薬研堀町等々、互ひに相当詳しかつたけれども、細かい路地の一軒々々、といふまでには調べ尽されてゐない。そのくせ親しさは日常、一日に必ず一度は四丁目の頭から一丁目の尻尾まで通り抜けずにゐなかつた、足音や話声の高く特殊に響く路地裏。――
 先づその北寄り(馬喰町四丁目と横山町三丁目の間)の角が、横山町側は紐屋、馬喰町側は一ぜんめし屋に始つて、この角店のめし屋の障子越しにいつもぷんと鼻を打つ独得な匂ひは、確かに板じん道へはひるには無くてはならぬ一つのものだつた。めし屋の隣りが洗出しのくゞり門に紺暖簾の桂庵、それから一軒おいて京染屋、この隣りが象牙細工、一軒おいて亀甲屋がある。われわれ子供は、この亀甲屋で仲間の「仲」の字を刻んだお揃ひのメダルを作つた事もあつた。こゝ
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