別に大正二年八月の出版もの「日本橋繁昌記」に従ふと、当時の戸数が読める。
「戸数百十二戸、人口男二百〇七人、女二百九十七人合計五百〇四人なり。」
この女が多いのは、例へば一番地のぼくの家でも既に野郎より女は多い勘定だつたが、加ふるに同町内には、
○ 一等芸妓の部、さだ子事長谷川てい、吉川町七番地。栄事酒巻また、同町九。なる子事潮田ハル、同上。うた事原はる、同上。
○ 二等芸妓の部、吉川町三の福若松に小かつ、いろ、小さん、こい。四番地の吉野屋に八重次、初若松に初子。武蔵家に二郎、三郎、五郎、八郎、十郎。五番地の蔦家に〆太郎他二人。柳家一人。吉村家に四人。富多国家に三人。
かういふ軍勢があるからである。これは二度と、書くものでないから序でに飛んで大正十四年版の東邦社発行「花柳名鑑」から、この手の吉川町人種を抜き出して補ひを付けておけば、
○ 柳橋芸妓屋、事務所、日本橋吉川町一〇、電話浪花、略。浅草、略。理事長、栄家酒井千代。理事、伊勢家柳島カネ。評議員、花家福井トキ、同桝徳の家岡山うた子。それから平の芸妓が同町内で二番地から十番地まで順に浪花家、富多国家、初若松、吉郎家、沢潟家、
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