一晩中三角原を見物してゐた。
この原に一本高くアーク燈が立つてゐた。その「孤光燈」の焼け切つたシンが落ちたものであらう、朝学校への行きがけにアーク燈の柱の下へ行くと(学校は図の浅草橋のすぐ袂だつた)、きまつて三寸ほどの、黒い丸い棒が下ちてゐた。われわれはこれをデンキのチンボコと呼んで、珍重したものである。
この図は三角原が一番手前でそのこつち側は切れてゐるけれども、こつち側に、この原のすぐ右手に横山町もあれば「路地」もある訳だし、更に北へと、馬喰町の一丁目から四丁目までが展開する。その中には矢場ぐんだいと称する特殊の一劃(私娼窟)なども突然町中にはさまつてゐる昔の奇観は、数限り無いものがある……。
別に次の一節は、吉川町について特に以前(昭和七年八月)書いておいたものだが、再録する。ぼくの家を含む一帯がその「吉川町」である。
「吉川町、昔時萱葭繁茂し其中に小流ありしが之を埋立て市店を開き葭川町と称し其の後今の字に改む、西両国西広小路にあり、両国橋旧位置の西に当れる地を称す。」
これが明治四十年四月出版の「東京案内」に現はれる公文書風の説明ながらこの本は東京市役所の蔵版ものだ。
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