い》」といふ。「五十二番お二人さん御酒台、ゴブが二」といふ具合に女中が通すのだ。
 符徴《ふつちよう》の下の※[#「I」に似た記号、111−10]は一、※[#「L」に似た記号、111−10]は二、※[#「□」に似た記号、111−10]は四といふわけで、しめて合計が二円二十六銭也。そのわきのたま[#「たま」に傍点]とあるのは、その持ち番の女中の名である。
 実はぼくは中学を出てから白馬研究会へ通ふことになるまで、絵かきになるまでは、右の帳付けをするいろはの助帳場《すけ》を当分やつてゐたのである。
 まだ――こんな風な雑識は沢山あるけれども切りがないから、探景の図に戻つて、この界隈の元在りし家の軒別をざつと表解風に書いて見よう。
 図の手前の樹木のあるところ三角原は、焼打騒動の時に(明治卅八年)、この三角原と浅草橋とが「戦場」となつて人を橋向うへ渡すか渡さぬかの、夜つぴて「戦闘」のあつたところである。焼打の夜更けには佐太郎などは向う脛を血だらけにして、ハアハア息を切らせながら大戸のくぐりを開けて帰つて来た。ぼくは女中達や家の者と一塊りにかたまつて、二階の色ガラスのところから手に汗をにぎつて
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