預つてこゝにゐたから初め博労町だつたものが、中途馬喰町と書き替へられたといふ「バクロ町」の伝来などは、変化も極めて由緒正しいものといふべきであつた。やがてはタカタノババはタカダノババとなる。かういふ刻々の変化には、いかな克明の年代記と雖も、一々には追付けない。虎屋がいつか変じてトラになつた伝来あたりは、まだ御愛嬌の方であらう。
 いろは第八番の家の前に「栽培せる楊柳数十株点綴する間」とある。これは火除地の、われわれ「三角原」と呼んだところを指すものであらうが、いろはの前には、また別に西日をよけるための青桐が十本近く植ゑてあつた。われわれが漸くなじんだ「青」いものといへば、この梧桐と、三角原の柳だけであつた。梧桐を家の前に植ゑ立てるについては、父が市会議員だつたので、それで「許可」が下りたとか聞いた。父は一ころの、星亨の派だつたらしいが、護身用に大形の六連発拳銃を持つてゐた。
 ――トラ横町に、角から四軒目にげほう[#「げほう」に傍点]と通称する草履屋があつた。げほうの頭に梯子をかけと歌の文句にいふあのげほう、福祿寿であるが、これもどうしてさう通称したかは知らないけれども、今でも目に残る
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