船にて遊客は浮かれぬべし、吉川町には両国餅、同汁粉店は名代にて、紀文堂の煎餅、柳橋亭のてんぷら、松寿司と下戸上戸も舌鼓せむ。金花館といへる勧業場は、両国館と相対峙し、隣は大黒屋とて新板ものを売出す絵草紙店。さて浅草橋最寄には消防署派出所の火見櫓は高く、両国郵便電話支局、いろは第八番の牛豚肉店、栽培せる楊柳数十株点綴する間、馬車鉄道は二条の鉄路を敷きて、絶間なく往復し、又九段坂、本所緑町通ひの赤馬車は、両国橋際に停車して本所行或は万世橋と叫びて客を招き、大川端、橋の左右の袂には、大橋、吾妻橋行の隅田丸発着して、こゝ三四丁の間、四通八達の街路として極めて賑やかなり。夜間に及べば数多くの行商露店を張りて夜市を開く」(明治二十五年三月発行『新撰東京名所図会』より)
 一般に「両国界隈」は刊行本によれば上述のやうに記してあるのが常だが、横町の名までは及ばないのである。
 またよしんばそれ等をぼくなんかゞおぼえてゐようと、そしてかうして書き残さうとも、その実近年の当人はすでに元来の「虎屋」を「トラ」、加藤清正のあの虎と初めから解釈してゐるほど曖昧なものであるから、それから見れば幕府の博労頭が馬場を
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