んなものはなく、前にいつた「柳原堤の末にある故に名とすとぞ」これだけがその優しい名のたつた一つのいはれで、この辺の土地一体「柳」の字といへば、それは何れも柳原の柳から来てゐるといふことである。柳原封疆《ヤナギハラノドテ》には古くから半ば公式に柳樹が植つてゐたのである。そして柳樹に限つたものである。
といふのが、柳は卑近に幽霊なんぞとわれわれ連想しやすいところから、陰気なものと思ふと、これが反対に、大の陽樹ださうで、柳原封疆の見当といふものが、江戸城から見ると、凶位に相当したといふことだ。そこで特に陽樹の柳を選んで植ゑたのが、この柳原の起りだといふ。
だから「柳原」こそは由緒正しいものゝ、柳橋はたゞその大柳原の末にあるといふだけの、ほんの伴食の「柳」の意味に過ぎない。
――とはいへ、この橋は、痩せても枯れても江戸から東京へかけて、この良い響きなり匂ひの名をもつ名橋はこの一本の他には無く、柳橋から小舟で急がせ山谷堀……と幕末の唄にいふイキなやなぎばし[#「やなぎばし」に傍点]の沽券は、末始終こゝだけのことである。(僕が子供の時分には柳橋の下には、いつも屋根船が二三杯もやつてあつた。)
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