]、と、ぴつたりと範囲のきまる、窮屈な、際どいことになるのだつた。
ぼくは苦笑と興味の禁じ難いものをひとり味ひながら、絵は無難の方を選んで、木の柳橋を渡るところに描き替へたのだつた。
木の柳橋もさうさう古いまゝのものではなく、明治になつてからの架け替へである事は常識として、明治初年のこの橋には、刺戟的な歴史の插話が伝へられてゐる。彰義隊の乱の起つた時に、この柳橋は油を灌いで焼かれようとしたといふのである。しかし焼落ちずに暫時焼残りの危ふいまゝで、架つてゐた期間があるといふ。
これはいつの時代にも神田川筋の、地の利の自然で、さういふ羽目になるわけだらう。ぼくの知つているのでは明治三十八年の焼打騒動の時に、柳橋は矢張り、並ぶ浅草橋と一緒に、火をかけて落さうとされて、落ちなかつた。
彰義隊の揚合には、この橋が落ちるとどうなるのだらう。また、焼打の揚合にはどうなるのだつたらうか。漠然とその状態の想像は出来ても、当事者達の作戦的な計算はぼくにはわからない。
柳橋といふからには柳樹に縁がありさうなもの、その橋のたもとに、見るからにその名を名乗つて出さうな古木でもありさうであるが、とんとそ
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