板の上で、その日の急がれものゝ新聞さしゑを描いたものだ、と懐しみながら、私はさしゑの出のせゐでせう、どうも上野の出品ものといつたやうな仕事よりは、さしゑ風のものがかきたくて仕方ない、と笑つて話される。
ぼくがこれを特にこゝに云ふのは、鏑木さん御自身は知るや知らずや、世間には、常に絵画世界の一隅に「さしゑ」対「ホン絵」といふものゝ対立・相剋があつて、「さしゑ」は堕しめられつゝ「ホン絵」が良いものとなつてゐる。本来絵画である限りその本質に於てこの二つは相分るべきものではなく、殊に「ホン絵」などといふをかしな名の画式はそれが特別に存立すべきものでないに拘らず、事実上では、その存立ありと見なければならない状態である。
といふのが、一方に「さしゑ」といふ、所詮堕しめられるがまゝの画式がまた堕しめられる相貌のまゝに、現行し存立するから――この対照が自然と双方の兄弟墻に鬩ぐ風の現象を招致するものとなるのである。
石井鶴三の大菩薩峠が斯界の近い歴史の上に一線を劃したのも、一つには勿論鶴三のその作に対する構へなり作効果が正しかつたに依ることはいふ迄もない。しかしそれでは鶴三の構へなり効果が副業とし
前へ
次へ
全25ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング