ものではないから、自分免許の画法である。それでよければ――といふ一節があつた。
 先生はこれをすらすらと何のくつたくもない心のまゝに記された感懐だらう。
 が、この感懐を率直に投げ与へられたぼくとしては、鬼一法眼が六韜三略をさづけるからといつても却つて動じない。それ程、鏑木さんの平素こゝろの素直な、透き徹つたありやうに対し、今更ながら親愛を新たにすると同時に、敬服したのである。
 鏑木さんはその意識的な好みからいつても、万事に気取りやもつたい振る感じを喜ばない方であるが、といつていくら意識を以つて撓めたからといつても、この「気取り」や「もつたい振る」感じなどゝいふ、いひかへれば、大なり小なりひとの己れに許すところある息吹きは、生得虚心の仁に非ざる限り、好んでいぶさうにも、附焼刃にいぶし切れるものではない。――然るに鏑木さんは、全然それのいぶしつくされてゐる方である。
 どうかすると御自分を全く何とも思つて居られない方かもしれないのである。たゞ美術にいそしむ御自分をいとほしむ以外には。
 平素座談の折ふしにも、鏑木さんは目を細くされて回想しながら、昔よく屏風などをかきながら、そのわたりの
前へ 次へ
全25ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング