等々、新装された諸本を、飽かず楽しんだ「夢」は、忘れ難いものがある。
殆んどその何れの「夢」の中の本にも随伴してゐる――否随伴しなければならなかつた――「清方ゑがく」が、同様、忘れ難いものであることは、すでに云ふまでもない。
――しかし、かういふ回想風に渉る鏑木さんについての書きものは、一度何かに記したことがあるので、今それがつい手許に無いからどういふ工合に書いたか細かいことは忘れてゐても、要するに書く一筋は同じところへ出よう。どつちみち一度書いたことのある材料は筆興も続きにくいし、第一、当の鏑木さんその方に対して同じ回想記を再び綴つて御覧に入れることが気が引ける。「清方ゑがく」回想記に渉つてはこゝには省略するつもりである。
回想記は省略しても、「回想」の値打ちだけは一言しておかう。それは「清方ゑがく」明治中期から後期へかけての、鏑木さんのぼくなんかに与へた記憶なり回想が、偶々ぼくならぼくの「私感」一個に止どまらない、貴重な客観性のある明治時代史の一節だといふことで、これはかうぼくが述べることによつて、無言ながら、これに賛成する方は、立ちどころに相当の数を困難でなく見出すことが出
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