ないかも知れなかつた……
 たゞ人と人との間のカン、或ひはウマといふものは、これは有るものである。ヘンな事をいひ出せば、そのカン故に初めて相逢つた異性同士が存外そのまゝ偕老同穴の契りを結ぶこともある世の中だ。少々我田引水めくけれども、ぼくは逢つてゐることではちよくちよく鏑木さんに逢つてゐる。そして常にカンが働き、ウマが弾み弾みしながら、この人はかういふ人だと思ふ。その第一には、この人の持つてゐる言葉はぼくには字引無しでも読めさうだ、と、ウマが恐れ気もなく鏑木さんの胸中に飛び込んで、はしやぐのである。
 ――そしてこれは、弓矢八幡、人の世に外れつこないと信ずるものである。
 曾て鏑木さんは盗賊にはひられた時に、その翌日の新聞談話で、何でもお宅の忍び返しのところか何かを仰向いて見て居られる写真が出てゐたやうに思ふのだが(そしてその頃はまだぼくは先生のお宅を知らなかつた)、
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白浪の退くあと凄し秋の月
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秋の月だつけか、冬の月だつけかはつきりしないが、此のたしか九代目団十郎の矢張り盗賊に逢つた時の所懐を新聞の人に示しながら、「たいした事ではありま
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