ければ、太田聴雨氏の仕事を初めて特筆是評されたのも鏑木さんだつたらうし、その他、多くあるだらう。自分のことを云つてをかしいけれども、例へば己れを凧に譬へれば、それがどうやら順風に揚がつてゐる時、思ひ切り糸のダマを出して凧々揚がれ揚がれと地上から鼓舞激励された――これを批評の本質とす――ぼく自身のおぼえは、他ならぬ鏑木先生から受けたものであつた。そしてその頃は猶未見の鏑木清方氏だつた。
 これはぼくとしては所詮生涯の記憶になるものである。が先生は何も人にそんな重つたるいものを殊更に与へようとて、なすつたことではない。――有るか無いかの学生をいとしむ先輩の心、さういふ心を先生が常に(然り不用意の中にも)御持ちだつたといふことである。

 ぼくはしかし先生の「怒」については知らないのである。といふのが、人にして怒り無きものあらんや、ぼくがもつと鏑木さんに平素近づいてゐれば、「怒」もまた知らうものを、その意味ではぼくは、平素決して先生と親近といふわけではないのだ。
 従つてそれだけ何と云つても先生について知らないところが多いかもしれぬ。――それにも拘らずその人の「人柄」を述べようなどとは、いけ
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