るや、二階の仕事場へ行かれようとして、その階段の曲り角のところで堪へやらず佇立して泣かれたといふことだ。
 これはさう鏑木さん御自身が書かれたのを読んだのか、あるひはぼくの耳食かははつきりしないにせよ、いかにも鏑木さんらしい。鏑木さんはさういふ悲しみをなさる方であらうと思ふ。
 またこれも鏑木さんが書かれた文章で読んだのかと思ふが、――いつかこれは又ぼくもうつして及ばずながら自分の訓戒としてゐることには――自分はひとと相対する場合に、その相手の心持なり立場となることを心がける。さうして人と話をする、といふ意味のことを鏑木さんが述べられたことがあつた。ぼくはこれは鏑木さんのいつたことに間違ひないと(それが何にあつたかは忘れたけれど)かたく思ふのだ。何故ならこゝにも最もそれらしい鏑木さんの「人柄」が読めるからである。
 それかあらぬか、鏑木さんの展覧会画評を見る度にぼくは思ふ。鏑木さんの画評を執筆される影の一つの心操には、出来るだけ若い人の仕事を探さう、多少でもそれがあつたら特筆しよう、として居られる心持が読めて、日本画壇は良い先輩を持つて居ると思ふのが常である。ぼくの記憶にして間違ひでな
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