御自分の希望を胸に身近く秘めて、ぼくに上村松園さんの美点を細かく話して下すつた。また勝川春章の至れるをまるで我々が時々欧羅巴の画人を羨望さへ籠めた子供つぽい感嘆を交へて話すと同じやうに、その春章の女姿のかけものをそここゝと指されながら、居ずまひさへかまはずに乗り出して、話して下すつた。
 さういふ鏑木さんは「大家」でもなければ「先生」でもない、ひとへに、絵の仕事を専心したいとなさる。ぴちぴちした熱つぽい志望溢れる画学生のやうな姿の――それがやがて談終つて、対座すれば、実に静かな極めて練れた、ぼくなんかとは一廻りの上も年歯異なる、すでに立派な画人伝中の名家なのであつた。ぼくは無遠慮に率直なことをいふ。鏑木さんは到底たゞものではない。傑物だと思ふのである。

        二

 ぼくは鏑木さんの傑作は円朝像だと思つてゐる。円朝像は日本の美術作品として不滅だといふ意味で、同時に作者にとつての傑作だといふ段取であるが、ぼくの一つの論法からいへば、実は夙に「鏑木清方」といふ作家は紙絹に向ふや必ず常に愚作をかゝない人であるから、「清方ゑがく」傑作は枚挙に遑が無い。――といふのは、いつも必ず、筆
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