(註)、鏑木さんの心理を推し計ると、曩きに帝展へ出された鰯なども「さしゑ」風な一作として居られるやうだし、にごり江の画帳はいふ迄もなく、七絃会あたりへかゝれる横物の秀品も、それ等を一列に「さしゑ風な仕事」と考へ懐しまれて居られるやうである。
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 この画人が、自分などは自分免許の画法で、鬼一法眼から六韜三略をさづかつたわけではない、といはれるのは――推すらく、鏑木さんの思慕する美術品の高さ、その高度を余程よく忖度計量するに非ざれば、我々は不用意に鏑木さんの感懐を言葉だけで額面通りに受取ることは出来ない。再びいふ、鏑木さんは生得もつたい振らず、気取らない、といつて余計なへり下りなどの悪趣味は持たない、この辺は最も洗練された江戸人の遺風(さういふものも殆んど少くなつた)を持たれる方である。ぼくはざつくばらんにいはう。有りやうは、鏑木さんはなかなか御自身の仕事に対して御自身気に入つて居られないのである。されば些のテングやうのものは先生の心に兆す片影だに無く、鏑木さんは「大家」であるに拘らず御自分でさつぱり大家などゝそんなことは思つて居られない。ただ御自分の不満足と
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