ら好きでしたから殆ど小さい時分からよく描いていましたが、同時に鳴物が好きで、種々の楽器を好んで鳴らしました。手風琴、吹風琴、ハーモニカ、明笛など。或いは楽器で遊んだ時間が子供の中は一番多かったかもしれません。それに次いでは絵をかくことでした。
 極く小さい頃のことはおぼえていませんが、度々半紙に筆で八百屋ものの戦争の絵を描いたことを記憶します。きっとその茄子が鎧を着てかぼちゃを負かしている。横手に上野の戦争のような黒い柵があって、血は筆に墨をふくませておいて紙の上へぶっと吹かけたものです。全くその絵が出来上ってから血を吹きかける時には、勇壮の感がして――今でも昔の通り思い出せます。
 まだ十歳にはならなかったでしょう。十歳と云えば尋常三年ですから、尋常三年には多分軍艦や波を描いただろうと思う。一体私にあんな八百屋ものの戦争の絵を教えたのは、私の叔父だが、叔父は又何からああ云う画因を知っていたものだろう? 恐らくそんな絵草紙類があったものでしょうが見たいものです。――この叔父はなお細工ものが上手で、小さな木組をうまく扱って、そっくり二階建ての家などをこしらえていました。私はそれに真似て木
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