をけずって軍艦をこしらえました。
 所が近くの虎屋横町に住むナンブセーカンと云う、私の兄の友人が、更によく軍艦をこしらえることを知っていて、殊にナンブセーカンは出来上りの木の船へペンキを買って来て塗った。一体此のセーカンが然しありようは大のいたずらっ子で、表てなどで「ナンブセーカン」と聞くと私達こどもは逃げたものである。然し偶々家へ遊びに来て兄キと何かしているのを見ると、幾艘もペンキ塗の軍艦をこしらえて、私の家の物干しへ矢張りペンキで「旭造船所」と書きました。私は此の読み方を兄キに聞きましたが、うれしいと思いました。
 私は先ず「美術」に就てはこのナンブセーカンと、それから前に云った叔父とに、大いに啓発されたことを感じます。――叔父にはその後今も逢いますから、よくその事を云っては昔の八百屋合戦の図を描いてくれと頼むが、只笑っていて、描いてくれない。「ナンブセーカン」氏には、さっぱりその後逢いません。
 私は千代田小学校と云う学校へ上っていましたが、級の中では絵の好きな方でした。――それともう一つ好きなものがあったのは、唱歌室のオルガンで、余り弾いて見たいので一度忍び込んで弾いたことがあ
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