な因縁のものなら、わるいと思うが、思えば父や母のしたことには時々極く小さなことなどに、却って後々不審の種となることがある。父はもういませんが母はいますから、あのかけじのことは聞いておいて見ましょう。少くもその家にあったいわれを。
此処に学校の教科書を想い起します。その中の火事の絵に好きなのがありましたが、第三課「富士登山」と云うのはフジトさんと云う人だと思い、何だか寂しい気がしました。直きに和紙が洋紙になったようでしたが、和紙の方がやわらかで好きでした。
多分芳年の筆と思う一つ家の図を想起します。――之は大版二枚がけ位のタテに長い版画でしたが、下では鬼婆が乳をぶらさげて出刃をとぎ、上からは身もちの真白な女が真赤なゆもじをして、結《ゆわ》かれてさかさに吊るされています。之が近所の大平という本屋に出ていましたが、度々見て、いろんな想像をしました。只怖いせいでしたろう、買ってもらいたい気はしませんでした。時々見たくなって見に行ったものである。
大寺少将の雪の中に立っている図を思い出します。それは錦絵の三枚続きを沢山裏表に貼り込んだ、四冊の画帖の中にあるものでしたが、主に芝居絵であった
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