その意味を何となく了解したのは極く極く後のことです。
 私は、その家と十八の年に別れました。別れて浅草の家へ引越しましたが、却って、引越してから来者不拒のかけじを度々思い出しました。
 実は此の来者不拒、去者不追と云うのがその後段々と好きになって、感想などにも、時々此の句を入れた。入れたくなる場合がありましたし、第一、懐しいせいもある。来者不拒、去者不追。かなり本当のこととその情操を感じたこともあります。
 その後今では別段何とも思いません。こう云うかんばんをかけたいとは更々思いませんし、少し皮肉な見方かも知れないが、或いはあのかけじは誰か悟り切れない坊さんか、政治家のしくじりなどが気やすめに書いたものではあるまいか? などと訝かる。どっちみち人事の極く消極的な追句だと思うが、それとも何か偉い人の或る時の述懐か何かなら私の此の云いようはいけない。まあそう野狐禅ばかりでもあるまいけれど、思えば私の父など、成程、この来者去者の件では常住苦労もしたし、種々経験も多かったと思います。
 では若しもそんな風で父が此の句に感心して何処かから買って来たか? 又は誰かに書いてでももらったか? ――そん
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング