か[#「何か」に傍点]自分もやつて見たいからで、家兄の木村荘太がその頃ほひ雑誌新思潮を通して小山内さんや谷崎さん達と文学運動をやつてゐたことは、勿論身近い刺激なりお手本になつたわけです。
 ぼくはそこで、見やう見真似に、帳場格子の中で辞書を引き引き兄キの書架から持出した英語のモウパッサンの短篇集であるとか、ゴルキーの小説などを読んだものです。一日に一度はそれをやらないと何か胸元から空気でも洩るやうなとりとめのない気がして、「勉強」のつもりでやりました。しかし一方にはまた、ぼくは帳場ですから、頭を丸角に苅つて、木綿結城の竪縞に黒の前かけなんかしめてゐます。そのなり[#「なり」に傍点]で、一日に二三円は使つていゝことになつてゐるその帳場の金を掴んでは、夜になると、浅草公園を六区の十二階下から吉原あたりまでぞめきに歩きます。無論何でも知つてゐます。
 それで昼間は後悔の為めにそはそはしながら、せめて帳場格子の中で「勉強」するといふわけです。英語の力はこれでどうやら進歩したやうです。しかし憂悶やり難く、一度は家を飛び出して、町を流して歩く新内語りにならう! と半分以上決心したこともあります。
 これを危ないところで救助したのが兄キの木村荘太です。一体家では他の兄弟(荘九、荘十、荘十一、荘十二等々)の手前もあるから、商業に従事する以外は、中学教育以上の学資は誰にも出さぬ、といふのを、荘太――これは当時総いろはの若旦那です――は、ぼくの為めに一方、小山内さんを通じて、家との交渉決裂する場合は岡田三郎助先生のところへぼくを書生に出す(?)作戦を立てた上で、家事総監督の長兄に向い、荘八を絵かきにしてやつてくれと談判したものです。
 申す迄もないが、ぼくは文学をやるか、あるひは絵かきになるか、どつちみち芸術[#「芸術」に傍点]に従事したいと考へてゐたのです。
 ところがこちらが二段がまへの強腰に当ると、家では、存外素直にぼくの絵かき志願を許しました。長兄はぼくを愛してゐたと思ひます。――これに反して同じ父方の「風流」の血に憑かれた、末弟の、荘十、荘十二等は、苦労多かつたと思ふのです。――長兄はぼくに対して、商業に従ふべく高等商業を受けさせようと思つてゐた素志に準じて、絵かきになるならば、美術学校へ入らなければならぬといふことになりました。ぼくは勇躍してたしか十九の春から、早速昼間は赤
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