の仕事であつて、日本画ものは、恐らく大正九年以前に遡つては発見しにくいだらう。正確なことははかりにくいまでも「辛酉晩春」署名の猫を和紙半折に描いた白描あたり、大体これ等を、故人の日本画式の筆始めと見て良いと思ふ。
 この絵には署名こそ「劉生」とあれ、落款の印章はまだ作られてゐなかつたと見えて、墨書した劉生の下に朱書きで劉の字の左書きが文様風に添へてあるのである。
 ぼくはその時分にたしか日本橋仲通りの骨董店あたりで、岸田が沈南蘋の猫を描いた画幅を求めた事をおぼえてゐる。しかしこれは偽物であつて、岸田はやがてこれを出して了つたけれども、一時、この沈南蘋には彼は傾倒してゐたものだ。岸田の支那画に対する開眼もこれから来たと云つて良いだらう。そしてその「手習ひ」をしきりとやつてゐた一頃がある。
 岸田は後年に及ぶにつれて漁画癖につのり、遂には劃期的な初期肉筆浮世絵ものゝ珠玉を骨董店の塵の中から発見する。漁画の本格に味到したけれども、そもそも始めは、右にいふ南蘋の偽物を掴んだあたりが初穂であつた。この時掴んだものは偽物であつたとは雖も、岸田のその「偽物」を通じても鑑賞し且憧れた東洋画の一筋は、こ
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