上の文章は前数年のところで、誌されたとして、刻々に移り動く世相をそこに見ながら、「罪のなき奇語の、広くも行はれしものかな」と現在調に嘆じて、結ばれた。即ち明治三十年早々から明治四十年にかけて、この言葉が、盛んに転動しながら、澎湃とうごめくありよう[#「ありよう」に傍点]を、文献の陰に、目に見るようである。
 やがてこの言葉は「ハイカる」と云った工合に語尾の活用を起して動詞となって働き出し、江戸弁に「ヘエカラ」と訛っても通用するようになり、「貧乏ハイカラ」「田舎ハイカラ」等の派出語も従えつつ、――僕の考えでは、結局日露戦争末期に、女の飾髪の廂髪、――その高大に突き出した有様をぬからず当時の記憶に生々しかった旅順の戦跡になぞらえて、「二百三高地」と呼ばれた。この二百三高地・廂髪が一口に「ハイカラ」と呼ばれるに至って、一昔前に男ぞろいの、その伊達者達の、卓上一夕の奇語から起った言葉が、思いきや、女人の髪の結いぶりへ転化し、そしてそこに見事な「結晶」を作ったと思う。世相史の上の、面白い特殊な一例だったと思う。
 今日から見れば、「ハイカラ」も既に――女の髪の結いぶりの「ハイカラ」もすべてを籠め
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