にして、其人物の清く高きを顕はすものなり。現に、平生はハイカラーを攻撃する石川氏の如きも、今夕は非常のハイカラーを着け居るに非ずや云々と滑稽演説を試みて、満場の哄笑を博したり、其の記事、各新聞紙上に現はれて以来、ハイカラーといふ語の流行を来すに至れり。」
「ハイカラ」ははじめ多分に揶揄難評の言葉ではあっても、賞讃の意味は少しも含まない、生意気な、軽佻浮薄なものの代名詞として、明らかに悪意のあるワルクチに出発したものである。これがいつか一転して「洒落もの」の意味となり、これに対して追従憧憬の気分も徐々に加味されると共に、三転して、あまねく「新しいもの」を目指して云う言葉となり、その風俗となりながら「……社会上下を通じて、一般の流行語となれり。特に可笑しきは、小学の児童まで、何某はミットを持ちたればハイカラなり、外套を着たればハイカラなりなど言ふこと珍しからず。罪のなき奇語の、広く行はれしものかな。」――と、石井研堂氏は書いておられる。
今これを読むと、又々、この研堂氏の考証そのものが生きた文献[#「生きた文献」に傍点]となるのは、研堂氏の『明治事物起原』は明治四十年の上梓であるから、以
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